善福寺公園まったり日記 http://park.marketp.jp/

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2006/12
 December 30 はれ

散歩に向かう途中、新しいモップを持って自転車をこぐオトーサンとすれ違い。お日様は気持ちいいのですが風が冷たい。エサをくれる人も少ないせいかカモメもいません。シナガチョウはいつものオネーサンに甘えています。家に帰ってテレビの上に鏡餅をお供えしたのですが、やっぱ、テレビの上じゃな〜と想い、急きょ段ボールで神棚を作りました。鏡餅は何年も使い回しのプラスティック、エビと、ミカンとヒラヒラも息子の手作り。掛け軸がほしいところなのですが、無いから ”おかめとひょっとこ”のうちわ。信心!信心!来年もいい年になりますように。

 December 29 はれ

気合いを入れて大掃除。マジックリンていう洗剤恐ろしく汚れが落ちて、私に大丈夫?って心配になってきます。バケツの水は夫婦一日60本のタバコのヤニで琥珀色。壁は眩しい白、窓はそこに在るのか無いのか判らないくらい透明に。4時過ぎの公園は、木々のてっぺんだけが茜色、人をつつむのは冷たいブルーグレー。真っ青に澄んだ空に葉っぱを脱ぎ捨てた、本当の樹のかたちが浮かび上がります

 December 28 はれ

朝早くから ぺったん、ぺったん向かいの工務店の餅つきです。年末の挨拶を 楽しんでもどっても、ぺったん、ぺったん。今日はシャッターおさずに一周。昨日のショット。

 December 27 はれ

息子が黒板の文字がよく見えないというのでメガネをつくった。赤ん坊時代のうつぶせ寝のなごりでギリシャ彫刻の様な正面細の側長頭の小顔サイズ(よく言いすぎ)に合うフレームが少なくて いかにも子ども物みたいな物ばかり。吉祥寺あたりでストリートライブをやっている、今どきの若者顔?になってしまいましたが、じきに慣れると思います。よく晴れました。おまけに温かい。風は強いけれど。

 December 26 あめ
冬の冷たい雨の夕方の公園は、独り占めかとおもったら、一周まわってピンクのコートを着たレドリバーとすれ違い。ちょっと悔しいけれど、あっぱれなやつ。年賀状もポストにいれたし、私の2006年の仕事納め。掃除があったけ・・・。
 December 25 はれ

イウ゛は家族が楽しいっていうのがいい。もちろん恋人と過ごすのもgood。商売のイベントというだけでなくて、日本人の家族の祀りになってきた。「小さい頃、肉屋であげてもらった鳥のモモを夕飯のおかずに食べて、忘年会と兼ねたキャバレーで過ごした親父のみやげの長靴につまったお菓子、仮面とクラッカーと寿司を楽しみに夜更かししていた。サンタは親父!、酔っぱらっている」そんなこと友人に話したら、そうそう家も。高度成長期の日本のクリスマス。昨日の公園はさすがに人は少なくて、私も急いでかえってグリルに炭を燃やしてタンドリーチキンとジャマイカ風のチキンジャーキーを焼きました。もうすぐ仕事おさめ

 December 23 はれ
気のゆるむような陽射しに感謝。年賀状恒例のの家族写真は、互いのスケジュールがかみ合わず、バラバラに撮影、コラージュ。親の喪に服している知らせが、数枚届いています。つっぱしって親のことなどかえりみなかった私も友人も穏やかに成長しました。親孝行がしたい!ディ・ケアの車いすの年寄りを見て自然におもいます。若いアベックが人形の写真を撮ってます。聞けば、既成の人形にヤスリをかけて成形、塗装、マツゲも衣装もカスタマイズ、かわいくてしょうがないのが伝わります。走っているね。
 December 22 くもり

朝から暗室にこもりっきりで、頭の中は黒白の反転した影とセーフティーライトのオレンジ、酢酸の匂いが充満しています。夕方の光さえ眩しく清々しい。公園の知り合いの方から クリスマスリースをいただきました。すっごくよくて、ハートの形に成形した枝に、下池のらくしょう(メタセコイア)の実がびっしり貼り付けてあります。これだょこれ!居場所を心得た精神から創り出される形にウロコが落ちます。私も彼女に気合いを入れてプレゼント創ります。

 December 21 はれ
仕事に於いて単純な自分勝手な価値、希望、不満は許されません。むしろ自分を否定してくれる意見がいちばんの味方だったり、突破口と思っています。同様に物言わぬ人が、なにも感じていないと錯覚しないよう想像力を働かす努力をします。なぜなら、自分に対して結果(評価)を下すのは自分ではなく、他人だったり時間の経過だったりするからです。少なくともプロの仕事って、私はそう信じています。もちろん、まったく至りませんが・・。密室では何も決まらない!怒っています。今日の光は不思議なほどに柔らかく、クリアにおちついています。
 December 20 はれ

公園に行くためのお気に入りコースが、いくつかあって気分や天気によって選択します。大きな杉20本位植わってた一角が伐採され整地されています。一軒、まあたらしい家も建っています。地主さんは固定資産税や相続税が大変だから、他人の趣や、気持ちが良い空間となどかまっているゆとりはありません。とーぜん、私のお気に入りのスペースも・・・。この周辺が隠れ家みたいにほったらかしな感じが、気に入って住みついたのですが、そのままって言うのはないみたいです。美しい国に、住みたい。もちろん無力な私です。

 December 18 はれ

さむい。すし屋のオヤジは曰く。季節感が無くなちゃったね。でもさ、おおざっぱにとらえるのは止めにしよう。白菜干して塩漬けに。鰰を串に刺して一夜干し。些細なことさ。ほんのすこし体をうごかせば負けない。冷たい風さえ、古人の知恵。

 December 17 はれ

夕暮れの黄色や朱の光には、特別の物質が放射されている?近頃、反抗期のセガレもおとなしく、メタセコイヤに落ちる大きな太陽をボンヤリ見ています。誘ってよかった。連れ回される美しさほど、人にとって災難はないと、おどおどして誘った私のビックリの一本勝ち。みわたせば、公園じゅうボンヤリ。木々のこずえにも、嫌われもののインコのミドリにも特別な物質がささります。

 December 15 はれ
芸術の秋にふさわしかったか?そうでなかったのか!NPO主催のアートの展示物が残されています。「ゴミの山?宝の山」風な啓蒙的なタイトルだった作品?今は、どういう経過か知らないけれど、ご自由にお持ちくださいと掲示がされています。こんな幕の閉め方でよいのでしょうか。この場所は地元の子ども達には、カブトムシの幼虫が生息しているふかふかな腐葉土の山と知られているところ。ちゃんともとに戻せ!これじゃ、人を見おろす迷惑な"お芸術”の山。この公園を知らない、エコ(エゴ)啓蒙家の不法投棄だよ。しっかりしろょ!ルーキーアーティスト。アースワークは撤去の潔さも見所だったはず。期間も含めて契約された展示なら当たり前のことです。小春日和の佳い日にフラッと散歩でもしてみたら、あなたのメッセージは、誰に問いかけるべきだったのか判る。と、私的意見です。
 December 14 くもり
夕方のベンチは、いろんなことに気づかされたり、想ったり、すこしだけに考えたり、こころの装置です。くもりの日の景色は一見色味が少なく地味ですが、写真には写らないデリケートなニュアンスにあふれています。写真だと平均(露光やコントラストなどなど・・・)的にとらえるけれど、絵だと視線の先を一色一筆に愚直においていけるから、どんなに世間が便利になっても存在できるのかな?とか、カモって見事な保護色で生き残っているんじゃないかとか・・・。とかとか・・・・どうでも好いことなんですが・・・。自宅で写真の引き伸ばしをたぶん十年ぶりくらいにしました。当時は一部屋全てがが暗室でしたが、今は、PC関連の道具がいっぱいで場所作りからです。焼き込みや覆い焼きも両手で、影絵の要領でプリントします。身体の仕事です。PhotoShop(ソフト)だと、右手のマウスでサァサッとなんだけど。進化か退化か老化か?判断できないけれど、私の身体は確実に動かなくなっています。
 December 10 はれ

アパートを一歩出たら冬の光。記憶の光です。そんなに寒くはないけれどまちがいなく冬。散歩する親子連れや年寄りは太陽に感謝しています。人は、冬の太陽と夏の太陽とはまったく違うかかわりを持っています。足下には掃ききれないくらいの落ち葉。まだまだ降ってきます。でも来週には、きっと空っぽに。マジな冬の晴れ姿を拝むことができるでしょう。私のスケジュールは、餅代とおとし玉稼ぎ(あげる側)に、忙しくなります。トホホ。

 December 08 くもり
古くからの友人からのメールで”わらしべ長者”の比喩があったのですが、物語そのものがわからなくて検索しました。知りたい物語はずっと下位で 仏に帰依した無欲で愚直な男のいい話でした。検索のトップは[Winny]のページで、楽して〜的な怪しいページがつづいています。ネットの暗い部分です。オリジナルのメッセージはすっ飛んでいます!どこから黒く変わったのか・・・?。短い錦秋は終わって樹の幹や枝のシルエットがくもりの空に冬の宣言しています。友人の使った比喩「わらしべ長者」は無欲を努力と入れ替えて使っていたから白に近いライトグレー。いいやつです 知り合ったときから。
 December 06 はれ

クオリア日記 をよくのぞきます。茂木健一郎さんは学生の頃、唯一好きだった講義”美術解剖学”の講師をなさっているようです。授業の音声ファイルは、2、3冊の本を読むくらいの濃さです。興味がある方はどうぞ。決して教養主義な講義ではありませんよ。Rico & CocoもAha。家事は創造的で生産的な生き方であることを笑いと驚きで伝えてくれます。昼寝して客待ちしているタクシーにも落ち葉がつもります。

 December 05 はれ

アパートの南の窓からはいる朱い光は、北の壁まで輝かせます。この時期、家具や花瓶の花と位置を神経質なくらいに部屋を演出していたのは、むかし。今は、キラキラひかるレースのカーテンにゆれる洗濯物の蒼い影をボンヤリながめてたばこをふかしています。こんな時間に坂道を下って歩いていると、スピーカーから「夕焼けこやけ」が流れていて、谷にある公園は、街灯がともり朱い雲は西の空の端、カシの木のてっぺんの影の向こうに少しだけ。このあたりのこの時期の景色です。酒屋のオヤジに「自販機なかなか出てこないよ」というと、「ポンコツなんだこいつ、けっ飛ばしてくれ」「二十一世紀にいうことの利かない機械をけっ飛ばす人っていないんじゃない」奥で女将さんも笑っています。

 December 04 はれ
ベンチに座って、遠くに視線があるのかないのか、ボーッとしている人をよく見かける季節です。ボンヤリっていう状態です。道具も言葉もいらないベストな風景との接し方です。ところで、生真面目に 人まで雇って落ち葉を片付けて、木々は栄養不足にならないのだろうか?
 December 02 はれ
「三丁目の夕日」よりクレヨンしんちゃん「大人帝国の逆襲」のほうが好きです。ちいさな頃、テレビを隣の家に見に行ったことや冷蔵庫を開けると涼しかったったこと覚えています。友達とケンカしたとき、お互いに自分ちの家電を自慢して相手をへこますみたいなことは、ぼくらの世代には普通にあります。でもそれらが我が家にやってきた瞬間のことは、不思議と覚えていません。感謝がうすい子だったようです。蛍光灯が我が家に来たときのことは覚えているな。でも一番衝撃的なのはつい最近、8年前 Macが来たときです。手や身体を動かしてする事が、指先だけでアッと、いう間にできたんだから。息子はそんなことが当たり前と思っているのかな?しんちゃんの家まだコンピューターないですね。葉っぱが風に舞っている時の形ってきれいだと思います。
 December 01 はれ

こんなきれいな夕暮れは、自分が何者ぞ?と思ってしまいます。いや、生きているのか、死んじゃって、あちらからCoolにこちらを見ていたんだっけ、感じてんだか、思っていないのか?夕暮れの一部になちゃった。説明がつかないけれど良い気分です。トランスっていうやつですか?不思議な空の色。

 

 

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